
未解明のノロウイルス浄水処理性に迫る遺伝子組み換え技術による新展開
環境リスク工学研究室の松下拓教授は水の澄んだ故郷に育ち、長じて浄水処理の大切さに気づき水研究者になったという。現在の研究ターゲットはノロウイルス。長く不明だったノロウイルスの浄水処理性を明らかにしようと、医療分野の遺伝子組み換え技術に着目した。将来起こりうる未知のパンデミック対策にも寄与する可能性に期待が高まっている。

培養できない=調べられない、ノロウイルスの難題に挑む
人命に関わる浄水処理施設は水中にあるさまざまなウイルスがどこまで除去できたか、ウイルスの濃度を調べることで安全性を維持している。各ウイルスの浄水処理性を測定するには実験用に培養したウイルスを使った研究室での実験が必要不可欠だ。ところが――。
「ノロウイルスはどうしてかは不明ですが、培養できないんです。なので世界の研究者が他のウイルスのように浄水処理性を調べることができないまま今日を迎えていました」。
松下研究室ではこの難題を克服するために、ウイルスの外側の“骨格部分”に当たる外套タンパク(VLPs)の生成に、医学分野の論文をお手本として着手。VLPs(Virus-like Particles、ウイルス様粒子)は、ウイルスの遺伝物質を含まないため感染性が無く、安全に実験に使用できるメリットがあり、ワクチンなどにも利用されている。ノロウイルスのVLPsを構成するアミノ酸の配列を調べ、遺伝子組換え技術によってVLPsをカイコに大量発現させ、人工的なVLPsを作ることに成功した。外側を培養することで本物の代替とし、それを浄水処理実験で用いるという作戦だ。
続いてマウスやラットの抗原抗体反応を活用したエライザ法によって水中のノロウイルスを検出できるまでに研究は進んだが、ここで濃度測定の感度の問題にぶつかった。エライザ法のままではVLPs濃度測定の感度が低いため、実験に使うVLPs添加濃度を故意に高くしなければデータが集まらない。
だがその濃度は実際の浄水処理施設の何万倍という値になり、現実とかけ離れたあまりの落差に松下氏たちは頭を抱えていた。
遺伝子治療の知見を応用、未来のパンデミック対策の一助にも
ノロウイルスVLPsの濃度測定の感度を上げたい。しかし、ウイルスの検出法として一般的で、より高感度なPCR法(polymerase chain reaction、ポリメラーゼ連鎖反応)は核酸(DNAやRNA)をターゲットとするため、これらを含まないVLPsには使えないという課題があった。
ここで松下氏たちは視点を変えた。医学系遺伝子治療ではがん細胞などのターゲットに直接抗がん作用を持つ遺伝子(DNAやRNA)を安全に届ける「ウイルスベクター」という技術があるという。その運び役であるベクターにVLPsも使われていることに着目したのだ。
「ということは我々もDNA断片を封入したノロウイルスVLPsを作れば一般的なPCR法でその濃度を測定することができる。複雑なことをしなくとも測定感度の飛躍的な向上が期待できる」。この新展開の中でもDNA封入技術にはまだ検討の余地があるが、副次的な感度向上に至る道筋も見えてきたという。
「今はノロウイルスが対象ですが将来的にVLPsへのDNA断片の封入法が確立すれば、今後、極めて危険なウイルスの浄水処理性を調べる必要が生じたときにも(入れているのはフルのDNAでなく「断片」のみなので)感染リスクを気にしない安全な実験・検討が可能になります」と松下氏。さらには引用元である臨床医学分野に“逆輸入”し、幅広い治療への活用も夢ではないと期待を寄せている。


北海道大学の水研究に歴史あり、国内第一号の衛生工学科
昭和31(1956)年11月1日付けの日本水道新聞第123号(株式会社日本水道新聞社発行)には、「初の衛生工学科 北大に設置、文部省議決定」の見出しが掲載されている。
戦後の高度経済成長期は繁栄と共に決して小さくない弊害をも国民にもたらした。日本各地の公害問題が明るみに出始めた1950年代、衛生工学(現在の環境工学)の重要性は国も認めるところとなった。そうした時代背景と熱心な研究者たちのはたらきかけにより実現した国内第一号の衛生工学科を持つ北海道大学は、いわば水研究の老舗である。
環境リスク工学研究室を見学すると学生たちが皆いきいきと研究に励む姿があり、自分たちのミッションを自覚している研究者ならではの活気が伝わってきた。
「今解決しなければならない問題、そして将来的に起こりうる可能性が高い問題に対して実現可能な範囲での回答を示していくことが工学研究の使命です」と松下氏がいうように、水問題の解決に挑む工学研究者たちの精神は今の学生たちにも着実に受け継がれているようだ。

工学研究院 環境工学部門
教授 松下 拓
