
「溶けない」のデッドエンドを超えた未来へボールミル有機合成反応に世界が注目
有機合成の世界は、有機溶媒とともにある。ターゲットとなる分子同士を溶液の中で反応させるという方法が脈々と続いてきた。だが今、「溶けなければデッドエンド、その分子は諦める」とされていた有機合成の壁を越えた発表に世界が沸いている。

従来の溶液法からボールミルによるメカノケミカル法へ
北海道大学の伊藤肇教授が率いる有機元素化学研究室は、有機合成研究のフロントランナー。数々の目覚ましい研究成果を発表し名を馳せてきたが、近年とりわけ大きなインパクトを世界に与えた研究、それがメカノケミカル有機合成だ。
「難しいことは何もしていないんです」と久保田浩司准教授は語る。仕組みはこうだ。分子Aと分子Bを合成したいとき、溶液中で両者を出会わせ合成を促す。それが従来の有機合成の定石であり、現在もこの溶液法による研究は世界各地で進んでいる。
だがそこには“溶けない分子”に対する限界もあった。そもそも溶媒に溶けない分子は合成の俎上にのせることもできない。合成の第一条件が溶ける分子同士であることを研究者たちは疑うことなく受け入れてきた。
この定石に対して、有機元素化学研究室は2018年から粉砕機の一種であるボールミルを用いたメカノケミカル反応の研究をスタートさせた。円筒の容器内に粉砕媒体であるボールと分子を投入して30Hz程度で水平に回転させる。すると分子同士が均一に混ざり合い、溶媒を用いなくとも合成反応が高速に進むという驚きの結果が出た。
空気下で個体のまま直接ぶつけあう。まるで調理工程を思わせるシンプルなメカノケミカル法で、久保田氏たちは有機リチウムの合成やクロスカップリング反応など医薬品や機能性材料において重要な有機合成を次々と実現しているのである。

反応速度が約400倍、環境負荷に配慮したものづくり
溶媒を使わないメカノケミカルは、「溶けない」ことでデッドエンドだと思われていた分子の有機合成に突破口を開いただけではない。有機溶媒の空間が広い体育館だとしたら、ボールミル内部は満員電車のようなもの。「空間の体積が小さくなった分、分子同士がコンタクトする確率が増え、反応速度が約400倍になりました」と久保田氏は明かす。
しかも従来は医薬品1kgの精製に100kg近くの廃棄物が出る――その大半が溶媒だったことを踏まえると、メカノケミカル1回あたりの廃棄物量は約15分の1となり、CO2排出量も約25分の1に激減する試算が出ているという。
近年、ヨーロッパを中心に環境負荷に配慮したものづくりが求められており、レギュレーションもより厳しくなっている。ここで紹介しているメカノケミカル法が、その具体的なソリューションとなる可能性にも着目しておきたい。
金属やセラミックなどを対象とする無機合成の分野では、ボールミルは日常的に使われている。それを思いきって有機合成に用いた久保田氏たちだったが、当初は半信半疑だったという。
「リスクはありました。でも先駆的な研究をしたいのなら誰もいないところに竿を下ろさないと」そう覚悟を決めて勝負に出た。
ボールミルを使った試験的な前例は過去にも発表されていたが、伊藤グループのように従来の溶液法に対して革新的な優位性を世界に先駆けてビジブルにしたところは他にない。
「ブレイクスルーは領域の界面で起きる。今回もまさにその好例だったと実感しています」

大学認定のスタートアップも設立、実装化が進行中
2019年に最初の論文が発表されたメカノケミカル有機合成は、世界のアカデミアに広がった。「高校生にも説明できるわかりやすさ」が高分子や生物、医学系などの異分野の研究者たちにも刺さり、製薬メーカーや大手化学メーカー20社近くから問い合わせが殺到した。
こうした一連の流れを受け、伊藤教授と久保田氏は2023年に北海道大学認定のスタートアップ、株式会社メカノクロスを設立(代表取締役:齋藤智久氏)。北海道大学が獲得したメカノケミカル有機合成の特許をメカノクロスが商用運用する形で技術提供に取り組んでいる。
研究室の小型ボールミルによる反応を企業が求めるファクトリー規模にスケールアップするには、機械的なエンジニアリングも必要となる。現在はプラントメーカーと協働し、実装化第一号の装置づくりが進んでいる。
領域の界面に潜むチャンスを逃さず、果敢に取り組んできた知見の蓄積は、今後も他者の追随をそう簡単には許さないだろう。伊藤グループの足跡がそのまま未来のメカノケミカル有機合成の道になる。
伊藤グループは優秀な若手研究者を輩出する指導力でも一目置かれている。久保田氏自身、研究室の一期生であり、後輩たちの指針となるロールモデルのような存在だ。
なぜそんなに優秀な学生が育つのか、その秘訣は「徹底した学生ファースト」だと久保田氏はいう。学生ごとに細かく目標を設定し、生活態度の指導も怠らない。そんな厳しい指導の果てに「一緒に働きたいと思われる人材」を送り出す。「北大生の力をマキシマムにして世界トップの研究者にする」指導に応えた修了生たちが、国内外で活躍中だ。

工学研究院 応用化学部門
准教授 久保田 浩司
